七色がはんらんする大規模な回顧展を福井で開催中

 七色に彩られた絵画が、美術館中の壁を埋め尽くす。ここは福井県立美術館。「虹の画家」と呼ばれる靉嘔の半世紀をたどる200点が展示されている。「虹になったころから『絵』をやめた。新しい形をつくるよ
うなクリエーティブなことは決してしないと宣言した。だから形はすべて借り物なんです」
 会場には、64年に制作された最初の虹の作品がある。年月を経て、色はところどころくすんでいる。当時は高い絵の具が買えなかったからだ。4枚で1組。四つの美術館が1点ずつ所蔵しているが、今回の回顧展で初めて再会した。
 光のプリズムのように、色の帯が赤から紫へと変化しながら画面をうねる。「毎日1本ずつ、上から下へと塗っていったんですよ。自然に波打ったりして、こんな風になった」
 海外にまだ自由に渡れなかった58年、ニューヨークに行った。当時は具象的な絵を描いていた。「自分の絵で勝負しようと意気込んだけどね、2年まわってもどの画廊も鼻もひっかけてくれなかった。『(抽象的な)アクション・ペインティングじゃなきゃ受け付けない』って。で、とどのつまりは降参したわけです」
 一角には自らが手がけたアクション・ペインティングの絵も飾られている。売れ行きは上々だったが、物まねだからと満足できなかった。否定の意味で絵に「×」をつけたり切り裂いたりしながら、模索の時期が続いた。「独特のものをつくるにはどうしたらいいか。僕自身の感覚を頼る以外にないと思った」。ソーホー地区に、同じような仲間が集まった。ここを拠点に反芸術運動「フルクサス」が世界に広がっていった。
 視覚のほか、触覚に訴える作品も多い。写真の背景にある紅色の小部屋には、小さな穴が無数に開いている。ゴムの切れ目から指をつっこむと、音がなったり、何かに触ったりする仕組みだ。
 ニューヨークで長く隣人だったナムジュン・パイクが1月下旬に亡くなった。フルクサスの盟友の死を悼みながらも、自身の歯切れの良さは健在だ。
 「反抗心だけでここまできた。オプチミスト(楽天家)のアーティストとバカにされたこともある。でも、僕は名誉だと思っていますよ。それは自然に備わった僕の素質みたいなものだから」(西田健作)

あいおう 31年、茨城県主まれ。同県行方市にアトリエを構える。作家名は「あいうえお」の音から。回顧展は30日までの福井県立美術館の後、7月28日から宮崎県立美術館に巡回。

(06年3月24日 朝日新聞夕刊より)