私のかたち

オノサト・トシノプ

 あなたはなぜ「円」をえがくかと、時々質問をうけるのであるが、私自身では、これほどあたりまえなことはないではないかと思うのである。原始のころから、おそらく「円」は限りなく描かれてきたにちがいないし、自然をかたちづくる形態のなかでも、最も基本的なもので、物体が形態であろうとするとき、これを選んだように、私もこれをえらんだのだ。それは、完全な形態であり、方向もかたむきももたない。いつも真正面の状態である。初め、それは土のままのかたまりであった。私は素朴なままの「円」を発見した。私はこれに、画面いっぱいに細かい連続した四角形を重ねる。そして、そこから色彩と形態の科学をはじめた。土はだんだんと落とされ、異った質の可能性に向かった。円はリンカクをもたない、かこまれた平面であり、それを細かく分割することで、円の面積をより具体的に認識させる。分割は色面の重なりから生まれて心理的な、また視覚的な「おうとつ」をつくり、抽象的な平面を実在物に転化させる。「円」は「かたち」にちがいないが、実は私は「かたち」だとは思っていない。「かたち」にそくばくされたくないが、同時に、そこに明確になにかを決定したいと思うとき、なにをそこに必要とするか。限定されない、それでいて、そこになければならないもの、それが思想であり、もっとも明瞭な実在であること。これが私に「円」を真ん中に大きく入れる、そしてそれを分割していって、最後にただの連続模様にさせてしまったわけなのだろう。「円」は、私にとって目的でも、主題でもないようである。「白と黒」「男性と女性」のように、絵画を私は人間との相似の世界だと思う。相似であるためには模倣してはならない。

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