●前衛美術の独創的思想家オノサト・トシノブ

久保貞次郎

 ぼくは現代日本美術家のなかで、この画家ほど自分の絵画の仕事を、正確に言葉でいいあらわしたひとはまれだと思う。かれのことばには借りものがない。すべて自分の実感の上に立って、自分の精神の内部を観察し、分析し、論理づけている。
画家のなかには筆のたつひともいて、たくさんの文章を書いて公表している。しかし実感のある文を綴る人はまれである。
 画家が絵筆でなく、ペンをもって、これほど徴密に正確に叙述できることは容易ならぬ才能である。かれが岩波書店の「世界」への寄稿を仕上げるには一週間、昼夜をわかたず、思考に思考を重ねたすえであったという。ぼくはかれの自己探索欲には内心驚いた。
オノサト・トシノブは独りでひとつの井戸を丹念に掘るひとである。外部の世界を掘るのでなく、自己の内部を掘り下げて疲れを知らない。井戸の間口はそう広くはないが、深さはどれほどであろうか。その深さは歳月とともに増して、公衆にはたやすく見極めえない深さに達している。地上からの光が、その底を照らすことが難しいほどの奥深くまで進んでいった。
 この文集はオノサトが掘り進んだ深度のバロメーターである。かれは深い地底から、現実と未来に透明な光線をあて、その運命について語る。その言葉は福音書のように予言的で断乎として自信にあふれている。日本の前衛美術の宣言書とみなされる時がくるだろう。この本によって、ひとびとは、現代の新しい美術の混乱のなかで、何が珠玉であり、何が泥石かを見極める思想の光をかくとくするであろう。

オノサト・トシノブ語録

●真実は誤魔化すことはできても隠すことはできない。芸術とは一つの鏡である。誤魔化せばそれが現れる。●私はあらゆることを否定することができない。
私はいつも否定する。
私はいつも肯定する。
●我々が何かを望んでいた、そしてそのようになったかどうか。
ならなかった。
なるはずがないと思う。
人間の考えが、電子計算機の故障のように、プラス、マイナスかずれていたに過ぎない。
ずれて必要のないことがはじまる.
●絵画とはそのような実在の認識の結果をできるだけ定着しようとする人間的な努力の証拠であって、人間が自然的現象のなかにしか生きられない生物であることを知る直感的な行為である。

●芸術は誰にでも理解される可能性がある。
●芸術はむずかしい。全身でそれを理解しようと努力する以外の者には無縁なものである。
●ピカソがやったことは物の外形が一つのショッキングな効果を与えるということであった。しかし、同時に空間と時間が内包する物体の真実を覆い隠す役わりにもなった。
レジェがこのような邪魔をしなかったのは、ピカソのように物体のショッキングな効果に向かはないで人間と物体がもつ日常的な判断によって、みせかけの哲学をさけたことにある。
●モナリザのなかにぬりこめた光を、われわは翻訳してみる必要がある。ダ・ビンチは今は実在していない。実在しているのは、それぞれの私自身であり、その私自身であり、その私自身のなかに実在を意識し認識してみることである。
●われわれはダ・ビンチをあらゆる実際の器物のなかにみることができる。
彼もまた人間をどうとらえるかという問題になやんだにちがいない。ルーブルでいろいろの古典をみたが、光がこれほど集中的に出てくるものは他になかった。
●東洋の光に似ているが、東洋の光でもない。たとえば雪舟の光は精神的であるか、ダ・ビンチの光は物質的である。物質の重みがある。同時に雪舟は具体的であり、ダ・ビンチは精神的である。

(『実在への飛翔』オノサト・トシノブ文集パンフより引用)

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