「前頭葉」の役割はどのようなものか


東京女子医科大学 脳神経外科 

平澤研一

 前頭葉は中心溝より前方の領域を指します。この領域は,おおざっぱに言って,行動を起こす領域,と言えます。前頭葉の中でも運動野は,まさに筋肉を動かす指令を出すおおもとですし,また前方の前頭前野は意志,意欲,人間らしい抑制など,いかに生きるかという判断を行うことにより,行動を制御しています。この領域は,ヒトになってから特に著明な発達を遂げた場所です。サルであってもヒトに及ぶべくもありません。一方,中心溝より後方は,周囲の状況を認知する場所,と言ってよいでしょう。以下に前頭葉をさらに細かく分類し,その働きをみていきます。
 前頭葉を外からながめると,中心溝の前に中心前溝が,それとほぼ並行に走っています。その前は,これらの溝と直行するように水平方向に上から上前頭溝,下前頭溝がみられます。これが外から見た基本構造です。中心溝のすぐ前で中心前溝までの領域は,手や足,顔,口を直接に動かす部位で(一次)運動野と呼ばれます。この領域は,まさに手足を動かすスイッチであり,ここが障害されると,もちろんその障害の程度,範囲にもよりますが,手足が動かなくなってしまいます。ここを中心とした神経回路は錐体路とよばれています。
 その前方,中心前溝より前に前運動野が存在します。さきほどの運動野は運動を起こすスイッチでしたが,ここはその運動を無意識のうちにスムーズに行えるよう補助する領域で,錐体外路と呼ばれる神経回路を形成しています。話が細かくなりますが,錐体外路には,脳の深いところにある基底核なども含まれています。ここで面白いことに,生物は,基本は錐体外路であり,霊長類になりはじめて錐体路が出現します。
 錐体外路は,目的を持った細かい運動は苦手で,ヒトでも乳児は錐体路が未発達であり,粗大な運動しかできません。成長し錐体路が発達するにつれ,細かい運動が可能となります。ネコなどでは錐体外路が中心ですから,運動野を取ってしまっても普通に動くことが可能なのです。
 この前運動野に接して前頭眼野と呼ばれる領域があります。ここは目を横に向ける中枢であり,てんかんの診療上,極めて重要です。一般にてんかん発作を起こしたときは,まず手足の動きに目を奪われがちです。ここで目がどちらを向いていたか,これも同じく極めて重要なのです。右の前頭眼野は目を左へ向けます。例えば,一見左右の手足が同じようにけいれんを起こしていたとしても,目が左へ向いていれば,てんかんのもとは右側にあるかもしれない,と判断できるのです。
 次に言語野についてお話しします。場所は通常右利きの人の場合は左側,左利きの人の場合は右,もしくは左側に存在し,前運動野の下部にあります。この部位の言語野はブローカ野といい,言葉を作り出す領域です。言語を生み出す過程は非常に複雑で,よくわからないことも多いのですが,言葉を理解する場所は側頭葉にあり,言葉を作り出す場所は前頭葉にあります。実際に言葉を出すために口を動かす場所は,さきほど述べた一次運動野の口の領域です。ここで不思議なことに,言語野は,おおざっぱな位置はおおよそ共通ですが,電極を用いて言語野を調べますと,その位置も大きさも実に個人差に富んでいます。大きければ言語が優秀で小さければダメということもないようです。この個人差のために,この近くの手術では,脳の中に埋め込んだ電極を用いて,言語野の位置を調べる必要があるのです。言語野の検査では,我々の所では検査では絵本を読んでもらうことにしています。読んでいるときに言語野を電気刺激すると,言葉が止まるのです。何回も読んでもらいながらたくさんある電極について調べます。ここで言葉が止まった電極について,さらに言語のどの部分に関係するのかを調べる必要があります。そのために舌の動きをみたり,課題をいろいろに工夫します。ところで,言語野のある側の大脳半球を優位半球と言います。優位半球を広汎に損傷すると言葉がわからない,つまり人とのコミュニケーションがとれないだけでなく,場合によれば自分の頭の中でものを考えることができなくなってしまうので,優位半球は極めて大切です,,そのために,我々は優位半球の手術の前にはかなりしつこく検査をします。手術も,局所麻酔だけで行うことがあるくらいです。手術中に患者さんとおしゃべりをしながら,言葉は大丈夫か確認するためです。しかし,これは極めて特殊な場合ですし,苦痛,痛みのないように工夫されていますので,あまり脳外科を怖がらないで下さい。
 次は前頭前野です。ここはまさに神秘の領域です。脳の検査のために頭の中に埋め込んだ電極で電気刺激をしても,何も起こりません。しかし,例えば交通事故によりこの領域にひどい脳挫傷を起こすと,意欲がなくなって,一日中ぼーっとしていたり,逆にふざけてばかりいたり,非常に落ち着きが無くなったり,異性にすぐにさわりたがったり,人としての意欲,意志,自分を律する心が失われてしまいます。人の精神を生み出す領域の少なくとも一部をなしていることは間違いありません。では,私は前頭葉の手術を受けたけど大丈夫かしら,と不安にかられている方もおられるかもしれませんが,前頭葉の不思議なことの一つに,右,もしくは左の片方だけであれば損傷されても案外何事も起こらないのです。優位半球の方がより重要であることは間違いなさそうですが,それでもある程度までは手術されても大丈夫なのです。この領域は謎に満ちています。ヒトにおいてはこれほど広大であり,ヒトの精神を生み出すにも関わらず,切り取っても何事も起こらない。今後の研究が期待されます。
 最後に前頭葉の下面および内側面について触れます。まず,下面に臭いの神経が通っています。そのため,事故等でこの部位に脳挫傷を起こすと,臭いがわからなくなってしまい,食事が実に味気なくなってしまいます。前頭葉の下面の後ろの方や内側面でも帯状回と呼ばれる所などは大脳辺縁系と密接なつながりを持っています。そのため,この部位の発作は側頭葉てんかんとの鑑別が困難なことがあります。これらがてんかんの原因の場合,不思議な行動をとることがあり,精神科的な病気と間違われることもあります。