それでも自己表現に時間を割きたい

島崎清海

元・創造美育協会事務局長、『北川民次美術教育論集』上・下
『久保貞次郎美術教育論集』上
の編者)

創造活動の現代的意味

 犬の子でさえ未知のものに対してそれを知ろうと興味を示すのに、そういう衝動を持たない子、すなわち創造的精神の欠如した子、新しい経験をさせようとしてもそのことを既に本で学び「僕知ってる」と醒めていて興味を示さない子、驚きと感動で学ぶことのなくなった子、自分から求めようとしなくても、求める前に大人の手で面倒見、思いやりなどという形で知識や量産された既製品が与えられ、希求すること、自ら作り出すことのなくなった子、自ら考えようとしない指示待ち人間、動植物を育てる経験を持たない子などが実に多い。

 私の20数年前の小学校中高学年での調査で「何でも自由にできるとしたら今何が一番してみたいか」という問に対して、生命を含む破壊の衝動を第1に上げた子どもは1割を越していた。第2、第3も入れると相当の割合になるはずである。今はそれよりも更に多くなっているのではないだろうか。あるいはそういう衝動すらスポイルされ、すっかり投げやりや無気力になっている子もいることだろう。

 学校では廊下を駆けることの危険性、他人への迷惑について説き、ポスターを貼るなどして自覚を促していた。走れないよう、ついには廊下に花瓶などの障害物を置くことすら始めたクラスもあったが効果はなかった。しかし学校を挙げて動植物を育て、創造活動を盛んにすることに努めた結果2、3年後には怪我もガラスの割れることも半減した経験を、最後に勤めた2つの小学校で私は持っている。創造活動に伴う充実感、喜びは幸福感、道徳的成長につながる。その反対は破壊の衝動となるという。知識として教えることと内面の心への作用の意味を考えてみる資料の1つにはなりはしないだろうか。知識として教えること、理性に訴えることを私は否定はしない。教養もあり経済的にも恵まれた家庭の子で、勉強もできクラスでは模範的な6年生の男の子が、自由課題で絵をかくと決まって噴火する火山や人の死につながる不気味な絵をかいた。家庭をよく調べてみるとその子は医者になるべく勉強に追い込まれ、受容するばかりで創造活動を持っていなかった。内面に破壊の衝動を持ちながらそれを理性で押さえ良い子を演じていたのである。ある席で、なだいなだ氏は「それらの子は表現することで内面に溜っているものを吐き出すことができているからいいですよ」と言った。理性と吐き出すことでその子は持ちこたえていたのである。似たような環境にあったある男の子は中学生となり、吐き出す機会もなく、受験勉強に追い込まれる中で、遂に理性では押さえ切れなくなり放火してしまった。多くの子が問題を起こさないまでも理性の下に大なり小なりの衝動を封じ込んでいるはずである。ここに理性と感性のバランスを保つための感性の陶冶の必要性が出てくると思う。特に現在のような消費経済の下では創造活動の機会は少なく、娯楽までもが既製品として与えられている世の中では創造活動の持つ意味は大きい。パンとサーカスでは生き甲斐のある幸福な生活は得られないのである。

自ら学ぶ創造的な子を育てたい

 以前払はパリのある小学校を訪れた。その学校の児童数は310人ほどであった。校長は各教室を回り「児童数が300を越すなんて学校じゃあない」とぼやきながら「この子は入学したときこうだったが今はこうなんだ。この子はこのような特徴を持っている」などと一人一人の性格や経歴、特技などを語ってくれた。なるほどこの校長のようにそれぞれの子どものことをよく把握するのには300人が限界だろうなと校長のぼやきの原因が理解された。加えて校長は「私は卒業するまでに如何に多くの知識を授けるかということは考えていない。年間に自ら学ぶ術を身につけさせるよう努力している」と言った。「自ら学ぶことのできる子」私はそういう子を創造的な子と呼んでいる。

 南仏の児童数30人程の小学校を訪ねたとき、上級生が1年がかりで調べているノートを見せてもらった。ある子どもは自分の家での食材がどういうルートで入ってきているか、またその生産地はどこかなど、店の広告なども切り抜き、貼り込んで分厚いレポートを作っていた。別にホテルのメニューを元にし同じような研究をしている子どももいた。

 私が教えていた6年生の子があるとき校庭の植え込みの中から土器の小さなかけらを拾ってきた。そこでわたしはこの付近が大昔どのような所であったかを話し、学校近くで出土した土器を保存している家に案内してやった。夏休みになって子どもから電話がかかってきた。「僕たちこの付近の昔のことを調べているんだ。それでこれこれの事に詳しい○○さんの所へ話を聞きに行くんだ。先生も付き合ってよ」と言う。子どもたちはおもしろがって古代から極最近(子どもたちにとっては昔)のことまで伝説、民話までを含めて土地のことを調べていた。ついにはそれをまとめて小さな活版印刷物にした。印刷代も子どもたちが稼いだ。土地の親たちからも、またどう伝え聞いたかソニーの厚木工場からもまとまった注文があった。私は美術教育だけでなくすべての教育を通してそういう子、主体的な子、自ら獲得していく子、とりもなおさず創造的な子どもを育てることを教育の理想とした。教えるという姿勢は極力取りたくなかった。

 自己表現イコールうっぷんばらしと取っている向きの人もあるようだがそれはひとつの面であって、表現活動を通して創造的な子どもを育てることがその本来のねらいであるはずだ。

解放の後にあるもの?

 解放の後に何があるかというばかげた質問は十年一日のごとく耳にする。世の中に本当に解放されてしまって何のコンプレックスも問題も持たない人がいるだろうか。少なくとも私は自己解放の連続である。解放とは自由になることである。自らに由ることである。自立することである。人に支えられてやっと立っている倒木ではなく、自ら大地に根を張り自分の力で立ち、なおできれば人をも支えることのできる大樹になることである。植物の場合自分の力で環境を変えることはできない。しかし人間は環境に働きかけることもできる。視野を広くする(捕らわれたものの見方からの解放)ことによって環境に対する見方を変えることもできる。子どもの手ではどうすることもできない問題に対しては大人の手助けも必要だが、大人が担いでやっと立っている木を作るのが解放ではない。立てば自分で根を張り、自立し、自ら環境と戦っていく子でなければならない。

現実の子どもの見える議論を

 自立とは自分に責任を持つことでもある。創造主義の美術教育が放縦な人間を作ったという意見がある。自分の行動に責任を持つものが放縦な行動をするだろうか。主観絶対主義、情緒絶対主義などという純粋培養された教育がどこかにあるだろうか。あるとすればそれは机上でしかものを考えない人の頭の中だけであろう。ヒステリックな破壊の衝動を蓄積させたという意見もあるようであるがそれはどういう事実に基づいての発言なのか、裏付けのあるデータ、事例を元にしての発言であろうか。少なくとも創造主義の教育の実践を心がけたと自負している私が勤務した前述の学校では、怪我やガラスの割れるのが半減し情緒的に落ち着いたことを数字を示して説明することができる。また私の友人で創造美育の活動家が赴任した中学校はそれまで荒れることで新聞をも賑わしていたが数年後には落ち着きを取り戻した。

 教育の問題を論ずるとき現実の子どもの姿の見えない理論がよくある。しかしそれは現場を経験したものには空論としてしか感じられない。北川民次は創造美育の理論的中心人物であるが彼は長い間の実践に裏付けられた理論を展開した。久保貞次郎は実践経験を持たなかった。だが彼の貪欲なくらいの読書と思索に由ってできたものの裏付けとして晩年まで民次や現場の教師の意見を謙虚に聞く姿勢を崩さなかった。破壊、戦争も含めて、それはものを創造しないホワイトカラーに由って起こされるとリードや多くの心理学者は説いている。

科学になり切れない残余

 創美は理論の構築を怠ったともよく言う。私は理論の構築は民次や久保の述べたことをじっくりと味わえば現段階では充分だと思っている。余りにも図式化したためにその精神が抜け落ち形骸化した運動を数多く知っている。かつてある集まりで感動について話し合った。それに参加していた一人が「感動などという抽象的な言葉でなくてもっと分かりやすく数式のようなもので示せ」というようなことを私に言った。その場にいた日本作文の会の今井誉次郎氏もその人に盛んに反論してくれたが全く話が通じず、日頃血圧が高かった今井氏はその後も興奮が冷めやらず、昼食をとりながら「彼は文学を味わうことがあるのだろうか」と私にぼやいていたことを思い出す。

 人と人との作用である教育、まして芸術にかかわるものを、完全に客観化、数量化することはできない。もしそれができたとしたら、そこには芸術は勿論、生きた生命すらなくなっているはずである。そのとき「誰がやっても同じ結果のでないものは科学ではない」という発言もあった。その意味では教育は科学に近づくことはできても科学にはなりえない。常に残余があるものである。「その残余は愛という言葉で言い表すほかない」と言ったのは先輩の周郷博であった。

 小学校で授業をしていたとき、私なりに想定した授業の流れに従って進めていった。ところがまったく方向違いの発言をしその流れを混乱させてしまう子がいた。その子の頭の中では今までの私の授業の積み上げの中からその次を考えるのではなく、ひらめきによって一挙に飛び上がってしまったり横に飛び越してしまったりするのである。その子は野原での遊びを好み、変わった虫を捕まえてきては家で飼うので親をもいささか閉口させていたが、ユニークな発想をする創造的な子であった。その子は明るく伸びやかで屈託のない絵を日頃かいた。しかしこのような子は公式化された授業計画の中では無視され、置き去りにされてしまう。湯川秀樹氏は「新しい考えは理論の積み重ねの上にでき上がるのでなくひらめきから生まれる」と言っていた。再生的思考、生産的思考ではなく、このひらめきのある創造的思考をする子は、余り窮屈な理論化や公式化した教育の中では殺されてしまう。そのような子どもにも目を届かせるためにはクラスの児童数は少ないことが必要であると当時の自分の姿を思い起こしながら痛感する。

自然の中から自然な成長を

 私の家の周りにはここ7、8年の中に新築された家が20数軒ある。住んでいる人は私の家を含む数軒を除き若い世代の人達である。従って小学生から幼児までの幼い子どもが多い。年齢の違う子が男女一緒になってよく遊んでいる。造成によって出来た地形、そこらに転がっているもの、自然に生えている草木、虫などを使って自分たちで遊びを創造する。年長の子が崖へのよじ登り方を指導していたりする。少し前はトカゲの子どもを数匹捕まえてきて皆でえさの工夫などして育てていた。そこには体験を通していろいろなことを学び健全な心が育っている姿を見ることができる。いじめや喧嘩はほとんど見かけない。土日には暗くなっても家の周りに子どもの遊び声が聞かれる。私の顔を見ると競いあうようにして声をかけ挨拶をしてくれる。自然の中でより面白く遊びを工夫している子どもたちは明るく素直である。残念なのは以前子どもたちのリーダー役をしていた子の姿がその集団の中に見られなくなったことである。その子が中学生になったころから表ですら見かけなくなった。受験体制の中に組み込まれていったのであろう。

 出来るだけ教えるという姿勢を避けようとするのは創美の専売ではない。山本鼎氏は「自由」画教育は、愛を以て創造を処理する教育だ。従来のやうな押し込む教育でなくて引き出す教育だ」「訂正する事が何も無いとすると、教師は無用になりますなと不快な顔をする先生がある。まるで、叱る事件が無いと心細がる巡査のやうだ。ほんとうの事を云うなら、子供を訂正する必要はなくても、先生とその教授法とは充分訂正しなければならないのである」「彼が表現に関して質問をはじめたら、技巧化した範を示さずに、技巧を発見する事を教えてやる」と言っている。そのことのために創美同様放任だという攻撃を彼は受けた。しかし自ら発見するように仕向けることは系統的に教えこむよりはるかに難しいことである。

 気付かせるというやり方は更にソクラテスの産婆術にまで遡ることができる。気付かせるためにはその子にそれを受け入れることの出来る精神年齢や経験、すなわち受け入れるだけの準備が出来ていなければならない。フランスの詩人ポール・クローデルの愛した言葉に「教えることが出来る事柄は教えるまでも無い事だ」というのがある。山本県氏の「彼が表現に関して質問をはじめたら」というのは受け入れる準備が出来ていることであって気付き始めていて教えるまでもなく、ちょっとつっついてやれば自分で解決出来る時期にきていることである。そうして得たものは本当に身につき力となるが、ただ与えられた知識は生きたものとしては機能しない。

 気付かせようとする姿勢はソクラテスを祖とし、遊戯を取り入れ、子どもの興味、主体性、個性や感覚を重んじる人文主義、児童中心主義、自由主義教育はギリシャ時代のアリストテレスに始まり、クインチリアンヌス、ヴィットリーノ、エラスムス、コメニウス、ロック、ルソーと発展する。美術教育では西洋ではチゼックの教育、日本では大正時代の自由画、戦後の創造美育の教育であろう。それが絶えず教育ではない、放任だ、体系がないと批判されながらも続いていくのはなぜだろうか。その時の教育の状況の中に少数であるかもしれないがその必要性を強く感じとる人がいるからである。「真理は常に少数にある。それが大衆のものになったときは形骸化しその精神はスポイルされている」というような意味のことを羽仁五郎氏が言った。私はその言葉を信じたい。上から与える、教えることは体系化しやすい。しかし千差万別の子どもからその個性を重んじ引き出し、育てることは体系化が難しく試行錯誤しながらの実践になる。それだけに教師の苦労も多く一般に理解もされにくい。

それでも自己表現に時間をさきたい

 鑑賞教育については民次がその著書で詳しく述べている。最近その全てが全集として発行されている(創風社)のでここに蒸し返す気はないが、子どもの全生活、学校の全教科の中で占める創造活動の時間、知性と感性のバランスを見るとき自己表現の時間は現時点でも不足しているのではないかと私は考えている。

同じ山を登る人への声援として

 富士山に登っている人と阿蘇山に登っている人ではどこまで登っても会うことはない。登り口が違っていても同じ山に登っている人なら巡り会える。登り口の違い、高さの違いではなくて、目指す山の違っている人と論争し、引きずり降ろし、自分と同じ山に登らせるほどの力は私にはないことを年のせいか最近知った。そこでこの文章も意見の違う人と論争しようと思って書いているのではなく、私と同じ道を歩んでいる人々へ声援を送るためである。

(しまざききよみ)

  

参考:『子どもの絵は心』『子どもカレンダー2009』、 
『久保貞次郎美術教育論集』上