現代の課題の続
(2004年 8/2)

創風社  千田顕史

 私がこれまで述べてきた問題意識をもつようになった理由をもう一つ説明します。私は、今のような分野の編集者となった出発点は、社会学の全15巻の翻訳です。全15巻の編集委員に日高六郎先生がいて、その中の1册にG・H・ミード『精神・自我・社会』があり、訳者として、稲葉三千男先生がいました。最初はなぜ稲葉三千男先生がこの本を訳しているのか私はよくわかりませんでした。デューイの『学校と社会』(デューイ・スクール)の実践の資金を出したのは、ミードの姉であり、シカゴ大学でデューイとミードは理論と実践の両面で共同の仕事をしていました。今、創風社で出版準備している『アメリカ知識人論』(永井務 東京国際大学教授)の中では、アメリカ民主主義の源流としてデューイやミードを位置づけています。しかし、1960年代にデューイとミードの思想(プラグマチズム)を全面的に批判したのは、唯物論者でした。

 次に紹介するのは、日高先生の稲葉先生への追悼文です。

追悼文

次の文は、96年毎日新聞で日高先生が話したことです。

戦後民主主義とともに歩んだ社会学者  

日高六郎さん

◆戦後民主主義はもはや過去のものとなったという人もいますが、いかがでしょうか。
 敗戦、そして日本国憲法の誕生。その体験と理念を生かしていこうという考え。それが戦後民主主義の核でしょう。しかしその後の半世紀の間、さまざまな打撃を受けました。打撃の第一は冷戦です。朝鮮半島では「熱い戦争」となり、占領政策は一変。民主化の運動は抑えられ、戦争指導者たちが戻ってくる。日本社会の古い体質が温存されます。第二は日本が1970年代、経済大国となったことです。経済成長のすべてを否定するのではありません。しかし指導者層は政官財癒着の構造に落ち込み、民衆も快適な生活の追求だけを物差しにして、経済至上.の生き方におぼれました。第三には、89年以後のソ連・東欧の社会主義体制の崩壊があります。戦後民主主義の二つの流れのひとつ「社会主義的」民主主義は挫折しました。それを支持した人たちは、日本の民主主義を担う大きな勢力でした。それらの人たちがどのようにして教条主義から解放されるのかは、大きな問題。もうひとつの「自由主義的」民主主義には、もともと強さと弱さが同居しているという問題点がありました。
◆戦後民主主義の再生のためには何が必要ですか。
 人権をキーワードとして、階級・民族・国家中心ではなく、思想・表現の自由を尊重する市民的意識から出直すこと。とくに男女同権は重要です。政治的には、国境を超える民権の旗を高
くかかげるべきです。
◆それが21世紀の課題につながっていきますか。
 21世紀の二つの重い課題は、世界のなかの南北問題と、地球的規模での環境問題への取り組みです。平和の維持は、その大前提です。
 戦後民主主義はその出発にさいして、平和という世界共有の価値を自覚していたと思う。ともかくも平和志向はまだ民衆の心のなかにあります。それは日本の財産です。
ひだか・ろくろう1917年生まれ。49年東大助教授、60年教授。69年に辞職。勤評・学テ、安保、ベトナム反戦、水俣などの闘争にかかわる行動的な学者として知られる。現在、国民文化会議代表。

「毎日新聞」1996年6月

 日高先生と稲葉先生はほとんど同じような問題意識をもち、それぞれの立場から運動をしてきたわけです。稲葉先生のパートナーとしての私の30年の編集者生活も、日高先生のいう「社会主義的」民主主義がどのようにして教条主義から解放され、もう一つの「自由主義的」民主主義を否定するのでなく、どのように連帯していくかを追求してきたように思います。私のいう「現代の課題」の本質はここにあります。