編集長見習い日記 その4

『市民社会と教育』について 

 私は、折出健二著『市民社会の教育―関係性と方法』の校正を始めているところです。創風社では、『変革期の教育と弁証法』に引き続き、第2作目になります。前作製作時は、社内でのコンピューターでの作業で精一杯で、内容まで十分に関心を持つ余裕はありませんでしたが、今回の校正をつうじ、折出氏が、どのような立場で、この本を通じ、世になにを伝えていこうとしているのか、自分なりに理解を深めていこうと思いました。
 折出氏は、全国生活指導研究会(全生研)の研究者をしています。私が全生研の存在を知ったのは創風社に入ってからでした。教師の携わる分野には、国語、算数、理科、社会などの教科教育のほかに、学級作りや、いじめや、暴力、不登校などの子どもの生活面での問題に向き合っていく生活指導という分野があります。その生活指導の全国的な研究会の全生研の研究者が折出氏です。その研究会の参加者にたいし、折出氏が、どのような子どもたちのかかえる問題、教師たちのかかえる課題を重点的にどにょうな教育理論を実践応用しようとしているのか、校正をしながら、自分なりに確認をしていこうと思いました。この本の「序」では、今年の夏に起きた少年事件、すなわち、沖縄の14才少年リンチ殺人事件、長崎の幼児殺害事件にふれています。その内容を念頭におきながら、私の小中学生時代の生活指導にかかわる問題を、実体験にそくしながら思い起こしてみようと思いました。
 私自身は、いじめをしたこともるし、いじめられたこともあります。現代の子どもをとりまく事件は
私の小、中学生時代の状況とは少し違うようです。当時は、体の大きい力のあるリーダー格の友だちでも、
暴力をふるったり、人にやたら無理な命令をすることが多くなると、仲間はずれにしました。彼はそののち、1〜2人の理解者とだけ、一緒に過ごすようになりました。しかし、2〜3ヶ月たつと、彼の性格も少しずつかわって、周囲の意見も聞くようになり、やたらと力を誇示しなくなる中で、また仲間になることができました。また、自分の持っているゲームソフトを自慢し過ぎたり、人をやたらとバカにする人も同じような目にあいました。私も、人の陰口を言うことが多かった時は、そのようなうわさがグループ内で広まり、孤立させられた記憶があります。そして、しばらくして、悪口を言わなくなり、周りのことを考えることができるようになったら、仲間が再び集まってきた記憶があります。(以上は私の小学生時代、1985〜6年頃)中学生のときは、「不良」とよばれる人がいて、いじめや暴力をふるったり、先生に反抗する傾向のある人は、ある程度は外見上で一目で判断できました。しかし、現代の少年事件を見てみると、私の小、中学時代のいじめや、暴力等の子どもたちのとりまく問題と性質がかなり違っていると思います。事件から判断する限り、先生たちや、周囲の人たちから見て、「普通の子」といわれる子が、見えないところで、いじめしたり、暴力をふるい、そして、その程度がエスカレートしている、そのような事件が強くめにつきます。
 私が受けてきた学校教育の生活指導は、大半の人と同様、文部省系の生活指導だと思います。この生活指導は、今、校正をすすめている折出氏が所属する全生研の生活指導とは違いますので、双方の生活指導の方向性の違いを自分なりに確認しながら校正を進めていきたいと思いました。そして、まだ十分に確認をしていませんが、文部省系の生活指導も、全生研の生活指導も時代とともに、変化していくと思います。文部省系の生活指導と全生研が現代の不登校、いじめ、恐喝事件.etc.をきっかけに、どのように教育実践をみなおしたり、新たな理論をつくりだそうとしているのか確認をしていきたいと思います。まず、今は、折出氏の『市民社会の教育―関係性と方法』の校正をすすめているので、どう前作のつながりもふくめて、全生研の教育実践を変えていこうとしているのか確認したいと思います。今、私が理解している範囲では、全生研はマカレンコ、クルプスカヤの影響を強く受けた教育学者が元々、理論的指導者だとききます。マカレンコ、クルプスカヤが活動したソビエトは解体しましたし、折出氏はさまざまな現代の問題に対応できなくなった理論を変えていこうという立場です。今までの 教育学の実態、理論の何を継承し、何を捨てて、現代にふさわしい、新たな教育理論をつくりだしていこうとしているのか、そして、現代の子どもたちをとりまく、不登校、ひきこもり、顔のみえない暴力、殺傷事件などに、どのように新たな教育理論を役立てていこうとしているのか、そして、その成果はどのようにあらわれつつあるのかなど、自分なりに研究の理解をすすめ、活動を追いながら確認していきたいと思います。

2003年 9月16日 高橋 亮