メディア掲載・関連書評 etc.3(創風社 Web紹介分のみ)

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『小熊秀雄童話集』「奇妙な物語 ユーモアと残虐と悲しみと一評者一与那原恵」2001/5/6 朝日 
飯島勤著『そのまんまでいいんだよ』2001年8/24 朝日新聞山梨版
板垣誠著『母の決断』「振り返り人生に光」2001年10/23 朝日新聞茨城版
高野範城著『社会福祉と人権』「表面化する介護事故」の記事で 読売新聞 2001年6月12日家庭欄
村上善男著『浮游して北に澄む』「郷土の本棚 “津軽系”美術エッセイ」 2001 8月20日 岩手日報
折出健二著『変革期の教育と弁証法』2001年11月7日 読売新愛知版

(創風社・207ページ・1500円)おくま・ひでお1901-40年。詩人。新聞記者を経て、日本プロレタリア作家同盟に参加。著書に『小熊秀雄詩集』『小熊秀雄全集』など。

小熊秀雄童話集

小熊秀雄一著一

一評者一与那原恵

奇妙な物語
ユーモアと残虐と悲しみと

 小熊秀雄は、昭和初期に活躍した特異な個性を持った詩人である。北海道で生まれ樺太で育ち、流浪の暮らしののち二十歳で創作活動に入った。昭和十五年、肺結核によってわずか三十九歳の生涯を終えるまで「しゃべりまくった」詩人と評された。生前は二冊の詩集しか刊行されなかったが、生命のていてつ強い力がみなぎる「蹄鉄屋の歌」や、〈こんな豚喰えるか〉と繰り返す「プラムバゴ中隊」、作家たちに激しい言葉を投げつけた「文壇風刺詩篇」などがよく知られている。また、小説、評論、漫画台本、油絵など小熊の仕事は多岐にわたっている。

 本書は、彼の童話十八作品をあつめて編まれた。どれも不思議な空気にあふれた作品である。童話とは思えない痛みと苦しみ。残虐さ。そしてときどき顔をのぞかせる諧謔やユーモア。それなのに胸の奥に静かな悲しみがぽつんと残る。

 物語としてはそうとう奇妙だ。たとえは「お月さまと馬賊」。暴れまわっていた馬賊の大将が押し入った酒場。残っていた酒をちびりちびりとやっているうちに上機嫌になり、窓から月を眺めている。やがて大将は捕らえられ獄門に首をさらされる。首だけになった大将はまだ酔いが残っていて月を眺めながら歌をうたっている。

 さらには大将ののんきな様子に魅せられた家来の首も獄門にならんだ。首だけの家来が、ぺこりとおじぎをして言うことに「私も風流な男になりますから」。つぎつぎと首だけになった馬賊の家来がやってきて、みんなで合唱をしては街の人に「やかましい」と書われる始末。やがて馬賊の首は……。

 作品には小熊が親しんだ北の地方の情景があざやかに描かれている。緑の平原で草をはむ「ある夫婦牛の話」は、その末路の悲惨さをおおう叙情が胸に迫る。また、アイヌの伝承にもとづいた「マナイタの化けた話」は小さな帆前船でやってくる赤い男の話。この男の正体は意外なモノだった。

 六十年も前に死んだニヒリストの詩人。彼の童話は切なく美しい。そして、その日本語の端正なこと。物語はおそろしく大胆な展開なのに、読後はどれも静謐な印象を残す。小熊の作品は、戦争や貧困が暗い影を落とした時代抜きには語れないという。かつて中野重治は小熊の魅力を「あらゆる孤独と突進」にあると記した。たしかに彼は、生きた時代を憎んだ。しかし、彼の憎しみは清浄と呼べるほどに高まり、作品となった。だからこそ小熊秀雄は、陽気な絶望にたたずむ現代の読者の胸を揺さぷるのだ。(ノンフィクションライタ-)

 

自由に描いた絵見て 子供の想像力に枠はめず
来月15,16日上野原で児童画展

 児童画展では、約200点の作品を展示する。児童美術教育研究会が全国の幼稚園、保育園や画塾などを通じて集めた、児童美術の分野で大きな功績を残した美術評論家の故久保貞次郎氏が、欧州などで収集した外国の子どもの絵も展示する。
 展示する絵は、「子どもが自由に描いた」ことを基準に選んだ。遠近法にとらわれない絵や、建物の中が見える絵など、子どもならではの発想を生かした絵が数多くあるという。 
 飯島さんは学校の教師をしながら、子どもに絵を描く機会を与えたり、教育に関する相談に乗ったりするなどして、児童絵画の研究に携わってきた。全国で年に数回、児童画展を開いている児童美術教育研究会の会員でもあることから、今回、上野原町で実現することになった。現在の児童美術教育について、飯島さんは「大人の考え方を押しつけがちだ」と話す。遠近法、一点透視図法……。子供たちが自由に描きたい時期に、決まり事を教えすぎたという。
 「子どもの想像力に枠をはめるから、だんだん表現活動をしなくなってきている」。飯島さんは現状をこう危ぐする。
 飯島さんは最近、絵を通して児童の心理を解説した本を出版した。タイトルは『そのまんまでいいんだよ』。「子どもたちに自由に絵を描かせ、大人はそれを見守る。当たり前の姿を大切にしたい」という気持ちを込めたという。
 児童画展は来月15,16日,上野原町ゆずり原の「県立ゆずりはら青少年自然の里」で開かれる。
 絵と教育のかかわりについてのディスカッションも予定している。見学・研修費として大人500円が必要(子どもは無料)。
 問い合わせは飯島さん(TEL0554-63-3178)へ(2001/8/24 朝日新聞山梨版より)

障害ある長男となき妻の日々
取手の板垣さん3回忌機に記録まとめる

振り返り人生に光

2年前、玄界灘に面した福岡県新宮町で、取手市の女性が車にはねられて亡くなった。板垣峰子さん(当時47)。重度障害児の長男がそこで手術を受けるため滞在していたときの出来事だった。妻は息子にどう向き合ったのか。峰子さんの3回忌を機に、夫の誠さん(55)がこのほど、長男の介護記録や亡き妻への思いを本にまとめた。

 長男の光さん(13)には、生まれたときから体全体の発育が遅い障害がある。話すことも、歩くこともできない。99年8月、車いすの光さんと買い物から帰る途中に、峰子さんは突然、後ろからはねられ、意識不明のまま4日後に亡くなった。光さんも一時、危険な状態だった。

「自分も一緒に行っていれば、こんなことにはならなかった」。誠さんは悔やみ、悩んだ。「自分一人で息子を育てられるのか。会社を辞めるのか。それとも息子を一生施設に入れるのか」利根川の土手を歩き、夕日を見て、峰子さんへの思いを詩に書きとめた。光さんを中心に様々な人たちとの交流を「広げた妻の姿を思い出し、内向きになっていた自分を省みた。一一あなたはひかるの声を聞き、ひかるの言葉を見たのですね。私にはまだひかるの言葉は見えません。だから、ひかるとしっかり向き合わなけれはならないんです一一

 本のタイトルは、『母の決断一一重度障害児と生き抜いた母の配録』当時のメモや手紙をもとに回想した光さんのリハビリや介護の記録で始まる。
一一3歳。「ようやく首がすわった」。9歳一ヵ月。「車いすに乗って自分の行きたいところへ曲がりながらも行けるようになった」。11歳6ヵ月。「峰子は『自分一人でひかるを連れていけるようになった』とみんなに自慢していた」一一
 今年3月、光さんは福岡県立福岡養護学校新光園分校小学部を卒業し、今、隣接する施設でリハビリに励んでいる。
 本には友人たちの言葉や専門医による障害児をめぐる保育の現状分析なども加えた。「障害児に対する偏見や不十分な受け入れ態勢についても、考えてもらえればありがたい」と誠さんは話している。A5判、134ページ。1500円。問い合わせは、創風杜(03・3818・4161)へ。


津軽の風土とエネルギーに魅せられ、根を下ろした盛岡市出身の筆者が新聞、雑誌などに発表したエッセー集。
 津軽凧、早池峰流山伏神楽、大館市の樹海ドーム、仙台市の屋台を論じたかと思えば、パリ、ニューヨーク、ソウルなどから現代美術の表現活動の流れを追う。
 そのテーマは実に多様だ。「美術館多面体」というエッセーが含まれているが、全編を通じて多面体の美術家を見る思いがする。そこには「民俗の最深部は、現代美術の最前線に通底する」という視点が貫かれている。その一つが「飛翔する古文書」に登場する津軽凧。津軽定住の前年、津軽凧の仕事場で、古文書を張り付けた下張り状態の凧を見て、白と黒の濃淡に心を動かされる。これに触発され、古文書を使った作品を作るようになる。
 この「飛翔する古文書」は、村上作品を理解するうえで欠かせないエッセーだ。「わが津軽では、イメージが現実を、あっさり乗り超えてしまうこしはしはとが屡々あるのだ」という最後の一行がまた面白い。作風の変化を予言しているのだろうか。
 本県出身や本県ゆかりの十七人の画家との交流をつづった「回想の美術家」も興味深い。筆者の交友の広さと深さを知ることができる。それは同時に、多面体の美術家を知ることにもなる。
 筆者は一九九八年、弘前大教育学部教授を定年退官し、現在同大名誉教授。弘前市在住。(創風社=03・3818・4161、三二〇〇円)