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2.医学
(脳性麻痺児療育の現状)

   

千田顕史が「脳性麻痺手術の約10年後の成果」をUPしました(10/3/27)
脳性麻痺医療の現状と保育の役割の論文で触れているとねっこ保育園での治療の実際のTくんの術前術後映像でダウンロードできます。(ここ!!)この手術の詳しい内容は松尾隆著『脳性麻痺の整形外科的治療』CEREBRAL PALSY:Spasticity-control and Orthopaedics』『母の決断』を参考にしてみてください。

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光君最近の様子


 脳性麻痺医療の現状と保育の役割 

とねっこ保育園 志賀 照彦

はじめに――これまでの経過と脳性麻痺の捉え方

 私たちの保育園では、発足の当初からさまざまな障害を持った子も健常な子と一緒に育てることを、保育の一つの柱にしてきました。これまでにも難聴、自閉、てんかん、染色体異常などさまざまな障害を持つ子を保育してきました。障害を持っていようがいまいが、どの子も発達の道筋は同じ、早期に障害を発見し、適切な手立て(保育)をすれば障害そのものを軽減、さらには克服することもできると思っていました。
 しかし、障害を持った子に対する手立てとはいったい何をさすのでしょうか。そのころ、滋賀県大津市での四ヶ月検診をはじめとする脳性麻痺児の「早期発見・早期治療」の取り組みが紹介され、麻痺はボイタ法その他の訓練を早期から行うことにより麻痺そのものが克服されるかのように全国に伝えられました。私たちの園でも「この子は四ヶ月検診でボイタ法の七つのチェックのうちいくつ引っかかった」とか、0才の子に対して「この子はからだにかたさがある」「異常なケイレンがあるようだ。このままほうっておいたら脳性麻痺になってしまう」などとして、子供が大泣きしているにもかかわらず、ボイタ法の訓練を強いたり、ロール上のマットの上で揺さぶったり転がしたり、むりやりお腹や足の親指を付けさせてハイハイをさせたりして、なんとか緊張や痙性を取り除いてやりたいと朝に夕にこうした「手立て」に励んできました。
 このような中で、「麻痺の疑いのある」といわれた子たちも長ずるに及んで健常に育ち、一見これらの「手立て」が功を奏しているかのように思い込んでいました。しかしながら、いわゆる「大津方式」を紹介した『涙より美しいもの』(一九八一年、大月書店刊)の出版から数えても約二〇年近くたちますが、地元の大津市民病院からも訓練中心の取り組みで、脳性麻痺が治ったという医学的な論文が発表されたことはありません。脳性麻痺を「大津方式」により克服していると発表しているのは、教育心理学の分野の論文があるだけです。

   えっ、脳性麻痺って訓練では治らない? そのメカニズムは?

 しかし、そのうちに麻痺の「疑い」ではなく医師から麻痺と診断された子たちが入園するようになりました。私たちは、従来通りの考え方から専門医の診断や指導を受けることもなく、以前、養護学校の実習助手をしていた人から「指導」を受けながら、訓練中心の手立てをとりました。ところが結果として、麻痺の症状は改善されず、親も保育者も自分たちの訓練の仕方が悪いのか、訓練の量が足らないのではないか思い悩み、ますます訓練中心の生活(保育園に訓練のために通う)に追い込まれていきました。そうして熱心に訓練をすればするほど麻痺の状況は深刻なものになっていきました。尖足気味だった足首は内側にねじれるように内反が強まり、足の裏をつけて立てなくなり、年令がきているからと立位を強いたり、無理に股関節を開き、足の親指を付けてハイハイをさせたため、股関節が脱臼を起こすなど二次的な障害が進行してしまう子が出てしまいました。
 一方、このような幼児期の無理な運動、たとえば人間の股関節の臼蓋は二足歩行をするため浅くなっている、爬虫類や哺乳類は腹這いや四つ這いのため臼蓋が深くなっている。この違いを無視して生物進化の法則に合わせたリズム運動と称して、爬虫類のようなハイハイを繰り返し子どもにさせたため、中学生期になって麻痺のある子だけでなく、健常な子にも股関節の亜脱臼を引き起こしたり、脊椎の変形を招くなどの弊害も起こしてきました。さらに、このような訓練の中で、子供が精神的・情緒的に負担を受け、のびのびとした子供らしい生活が保証されなくなってしまいがちな事も重大な問題だと思います。


以前に行われていた訓練(上)

 私たちは、このような事態に直面しながらも、脳性麻痺に関する医学的な知識を得る学習の機会を得るまで、従来の取り組みに疑問すら抱かずに過ごしてしまったことに、重大な反省と責任を感じ、このレポートをまとめることにしました。
 それまでも、脳性麻痺は単に脳(特に大脳皮質)の損傷及び形成不全による運動機能障害であり、障害そのものの進行性はないといった把握はしていましたが、そんな単純なものではない事が明らかになってきました。放置しておけば食べる、息をする、話す(動作で意思を伝える)など生きていくために必要なことへも障害が重くのしかかり、人として生きていきたいと願う時 、その苦痛は私たちの想像をはるかに超えるものであること。また、その影響は、身体的なものにとどまらず知的、情緒的発達をも障害する。さらに重大な事は、年を経るとともに脊椎、膝、腕、股関節など各部に変形をもたらすだけでなく、各関節に無理なストレスを与え続け、関接が擦り減り神経を刺激するため、耐え難い激痛に苦しむ事になる。股関節の脱臼はことさらに深刻な事態を生む。介護をするもの、特に家族の負担も年を追う毎に増大し、将来にわたって本人と家族の命まで縮めかねないものである事など、知れば知るほど脳性麻痺が容易ならざる物だという事が解ってきました。
 また、脳神経外科の医師からは、筋肉の過緊張を生むメカニズムとして、痙縮を筋肉のレベルの疾患として捉えるのではなく、神経の過剰な興奮によって痙縮が引き起こされると理解すべきだと提起をされました。つまり、脊髄からの過剰な刺激が神経を伝わって筋肉を過度に緊張させており、本来なら脳がその興奮を抑制(コントロール)する働きをしている。しかし、脳が傷害されたためそのコントロールが効かず、筋肉が緊張を強いられる状態が続く。その状態を放置しておくと、筋肉が縮んでしまったり、関節が拘縮や脱臼を起こしていくと解明してくれました。
【資料】厚生省(厚生労働省)による脳性麻痺の定義
 受胎から新生児(生後四週間)までの間に生じた脳の非進行性病変に基づく永続的な、しかし変化しうる運動及び姿勢の異常である。その症状は、二才までに発現する。一過性運動障害、または将来正常化するであろう発達遅滞は除く。

 このように脳性麻痺のメカニズムを捉えたとき、緊張をほぐそうと手足をさすったり、揺さぶったり、または正常な運動を脳に覚えさせようとしていろいろな姿勢を取らせたりすることは、一時的に筋肉の緊張が和らぐことなどの効果はあるにしても、そのことによって傷害された脳が治る事や、脊髄からの過剰な刺激が弱まることはありません。訓練やマッサージによって各筋肉の過緊張や痙縮が根本的に改善される事もありません。ましてや脳性麻痺がそれによって治るなどと考えられる余地などなくなってくるのです。それでは、機能訓練は必要ないのでしょうか。機能訓練は人が本来持っている運動機能を取り戻すために重要です。しかしそのためには、本人の動きたいという自発性を何よりも大切にすること、泣いているにもかかわらず無理に押さえつけたりするのではなく、不安感のない自発的・能動的な動きを引き出すことがあらゆる運動レベルの脳性麻痺児に保証されなければならないと思います。そのためには各療法士や訓練士が専門医との連携を深めて情報を交換し合うことが重要なのではないでしょうか。

医学的な取り組みはどこまで進んでいるのか

 では現在、実際に医学の分野では、どのように研究が進み、治療に応
用されているのでしょうか。知り得る範囲であげてみたいと思います。

 1 整形外科的アプローチ
 これまでもさまざまな整形外科手術が行われてきていますが、そのほ
とんどが脳性麻痺を、障害された脳は治らないがゆえに、事実上機能も治らないと捉え、抹消の変形を処置するだけの手術が多かった。つまり、縮んでしまった筋肉や腱を切って伸ばし、見た目の緊張や変形をとる事を主眼にした手術が多かったように思います。しかし、その子が将来にわたって生活していくことを考えたとき、そのために必要な機能まで落としてしまっては意味がない。そこで考えられたのが『選択的緊張筋解離術』という方法です。これは、過剰に緊張している筋肉だけを選択的に緩めてやる手術で、抗重力筋など姿勢保持・移動などに必要な筋肉は温存するという方法です。これにより、体幹・各関節の変形の矯正はもとより、肩・肘のリーチ機能、手指の巧緻性の獲得、股・膝の関節機能の改善による座位の獲得、全身性の異常姿勢の寛解により寝返り、四つ這い、 立つ、歩くといった基本運動機能が改善されます。この手術は、特に拘縮・変形が進んでいる脳性麻痺患者に励ましを与えています。現在、全国の肢体不自由児医療施設の約二〇〇名の整形外科医たちは、「脳性麻痺の外科研究会」を毎年開きながら研究を進めています。

 2 脳神経外科的アプローチ
 脊髄からの過剰な刺激を、その伝達機関である神経の部分で弱めてや
り、正常に近い刺激が筋肉に伝達されるよう考え出された手法。フランスやアメリカを中心に二〇数年も前から行われており、手術例も数万人を超える実績を上げている。この手術は、処置する部位によりいくつかに分類される。

 後根進入部遮断術(Dorsal Root Entry Zone tomy)
 当初、ガンなどによる痛みの治療として開発されたが、一九七〇年代
に痙縮の治療にも適応されるようになった。触覚等を伝える神経繊維と痛みや過伸張反射(痙縮)を伝える神経繊維がはっきり分かれる脊髄後根進入部(DREZ)を手術用顕微鏡やマイクロメスを用いて痙縮や痛みを伝えている神経だけを選択的に切除し、症状を改善させるもの。痙縮が全身に及んで異常な肢位を示しているような場合に適応される。

 機能的脊髄後根切断術(rhizotomy)
 この手術は、主に痙直型脳性麻痺児に行われている手術で、運動障害、
四肢変形・関節拘縮の誘因となる痙性の発現をより中枢レベル(脊髄)
で抑制しようというもの。術後リハビリを継続する事で永続的な機能改善も可能とされる。二〜七才までの子どもの下肢全体の痙性に適応。

 末梢神経縮小術(neurotomy)
 痙縮に陥った筋肉を支配する神経のふとさを二〇〜四〇%程度まで縮小(一部切除して細 くする)する事により、脊髄からの強すぎる刺激の伝達量を弱めてやり、痙縮を治療する手法。手首・指・足先(尖足・内反)など局部的な痙縮に対して有効な手法である。入院の期間も二週間程度であり、患者の負担も少なくてすむ。後のリハビリを考えると、処置する部位に拘縮が進んでなく、ある程度の筋力が残されている事が条件になる。学童期前半までが適応。


正常な神経(上)痙縮の状態(中)神経縮小術で痙縮をとった状態(下)

痙縮の除去が不十分なとき、追加手術をした例

 痙縮にたいする末梢神経縮小の概念

 

3 薬物投与によるアプローチ
 口から飲む薬は飲んだ量の数%しか、脳を通って脊髄まで到達しない。
そのためバックローフェンなどの薬を、皮下に埋め込んだポンプにより常に一定量を直接髄腔内に注入する事により、副作用なしに、より効果的に痙縮を緩和させようというもの。この手法については、アメリカでは数万人の治療が行われているが日本では薬そのものについては認可されているが、ポンプを埋め込むという方法が認可されていないため、実際には脊髄への直接注射による一時的な対応しかできていない。しかし、二〇〇一年八月から日本でもこの治療法の治験がスタートしたので期待ができる。

 このように、脳性麻痺に対する医学的な取り組みが幾つかあるにもかかわらず、実際に脳性麻痺児・者の置かれている現状を振り返ったとき、現場での取り組みの後れを痛感しないではいられません。脳外科的な手術をとってみても、フランスやアメリカなどではすでに二〇数年も前から定着しているものが、日本ではやっと最近になって東京女子医大の脳外科医たちによって取り組まれ始めた状況です。このような状況の中で、新しい情報を知らされないために取り残され、苦痛を強いられ続けている脳性麻痺の患者が圧倒的に多いのが実態なのではないでしょうか。 脳性麻痺の治療に、もっと医学の光が当たるようにと願わずにはいられません。
 二〇〇〇年四月には、東京で脳性麻痺の治療を手がけていこうとしている脳外科医たちが中心になって、「障害者の生活向上を目指す市民フォーラム」が開催されました。日本はもちろん、フランスやアメリカからも実際に治療に携わっている医師をはじめ、行政の担当者、障害を持つ子の親や保育者、学生、ジャーナリストなど一般市民も参加して、麻痺などの障害を持っていてもより人間らしく生きていくために、現在実際に行われている最新の医療についてさまざまな報告があり、討論がなされました。ビデオやスライドなども使って報告された各地での顕著な改善の例は、こうした取り組みが更に大きな可能性を持っている事を示してくれました。さらにフォーラムの中では、これらの治療の目的は単に痙縮を緩める事だけでなく、運動機能の回復・向上にあること、そのためには整形外科医、脳神経外科医、各療法士など、さまざまな分野の専門家が壁を取り払い、欧米並みに有効な連携が図られることが必要であることなどが提起されました。障害を持つものには切実な、そして当然の声ではないかと思います。

とねっこ保育園での治療の実際
では、実際にそれぞれの症状に見合った治療を受けてみたとき、子どもたちにどのような変化があったのかを、私たちの園の子供たちの様子を通してみてみたいと思います。

S君(当時一〇才)
 彼は、下肢の痙性が高く、尖足・内反の状態でバランスがとりにくく、上体を揺らしながら歩行をしていた。静止して直立ができず、転ぶことが多かった。知的には正常であるが、手指の巧緻性も低かったためさまざまな場面、特に新しい課題については自信が持てず、拗ねることが多かった。九九年の九月、彼は日本で初めての脳神経外科手術を受ける事になった。末梢神経縮小術である。母親も学習をつみ、初めての手術という不安ももちろんあったが、少しでも現状が改善されるならと、本人ともども手術を受けることを決断した。入院期間は検査も含めて約二週間。本人と医師との相談の結果、まずは特に痙性が高い右足を処置する事にした。手術は膝の後ろを切開し、緊張筋につながる神経だけを選択的に細くするものであり、手術用顕微鏡や筋電図などを使い、どれだけ細くするかを検査しながら進めていった。(後でビデオを見ながら説明を受けた。)手術の翌日にはもう自力の歩行が許され、面会にいったものに両手を挙げて歩いてみせ、「自由になった気がする」との感想を伝えた。退院後、それまではどうせやってもできないからと避けていたいろいろなものに挑戦するようになった。まず卓球に挑み、学校の運動会への臨み方も積極的になり、いじけずに参加できた。また、初めて学童のスキー合宿に参加し、そり、ショートスキーなどを試した後、やはりみんなと同じスキーに乗りたいと決め、何度倒れてもへこたれずに練習する姿にみんなが励まされた。クラスの友達との関わりも変わり、積極的にサッカーをして遊ぶようにもなる中で、友だちとの信頼関係も強まった。その後、彼は自転車に乗れるようになり、健常な子と変わらない速度での移動を可能にし、行動半径を広げている。
 現在彼は、自転車で地域の中学に通っている。このように彼が受けた手術は右足の緊張を緩めるものであったにもかかわらず、上肢の緊張も緩み、全体のバランスも改善されたように思う。また、それが生きていく上での意欲や自信にまでつながっていることに驚かされている。ただし、抹消の麻痺を緩めただけなので身体全体としては痙性が残っているので成長とともに、より根源的な(中枢部に近い)部分での治療が必要になってくるのではないかと思う。(東京女子医大の脳外科教授・堀智勝先生執刀)参考:『日本で始めての手術をうけた長男』

 Y君(当時五才)
 四肢麻痺。特に両股関節がすでに脱臼を起こしており、膝・足首等も伸び切っていた状態だったので、整形外科による手術を受けることにした。当初、骨を削って股関節をきちんと整復するとともに、筋肉の選択的緊張筋解離術を受ける予定であったが、本人の年令と負担も考えた親の希望もあり、初回は骨には手をつけないで筋肉の処置だけ行うことにした。検査・リハビリも含め入院期間は約半年。それまで全身が棒のように伸び切っていたのが、座位が取れるようになり、股関節の緊張が緩んだため肩車もできるようになり、仰向けに寝られるようになって、日常の生活がしやすくなった。その後、養護学校に上がってから二度目の手術受けたが、その後の経過については、執刀された新光園の松尾先生のホームページに詳しい。(福岡県立粕屋新光園の松尾隆先生執刀)

 T君(当時四才)
映像による術前術後をダウンロードできます
 事故により硬膜下出血を起こし、命は取り止めたものの麻痺を残してしまった。特に左足(膝・足首)の伸展が著しく、右肘も屈曲が強まり、移動は左手によるずり這いが中心であった。(術前映像)脳神経外科か整形外科の処置か、いずれをとるか大変悩んだが、最終的に親が整形外科の手術を選び、手術を行った。左股関節周辺の緊張を緩めることを中心とした選択的緊張筋解離術により、術後移動がずり這いから四つ這いに変わり、支持座位だったものがしっかりと座位が取れるようになり、左足の踵が着くようになったため立って歩きたいという要求を出すようになった。(術後映像)また、手の巧緻性も高まり、指先で小さな物も摘み上げる事ができるようになった。さらに、発音がはっきりしてきたと同時に語彙も増え、自分の意思を言葉で伝えたり、歌を歌ったり楽しんで生活できるようになった。現在は、養護学校に通学しているが、持ち前のなんでもやってみようという意欲と、誰とでも仲良くなれる力を生かして周囲を和ませながらたくましく生きています。(栃木県立身体障害医療福祉センターの神前先生執刀)

 H君(当時十才)
 難病のヌーナン症候群。四才までは病院のベッドで過ごす事が多く、移動はいざり這い。左足首が極端に内反してきた。また、直立の姿勢をとるなど無理な訓練を続けたため、右股関節が完全に脱臼をしてしまい、整形外科の手術を受けることにした。上記障害があるため、股関節周辺の緊張及び足首の緊張を緩めることが精一杯であった。それでもこの手術によりつかまり立ちが可能になり、車椅子からトイレに自力で移動したりできるようになった。これは本人の自立も促すのはもちろんだが、介助者の負担を減らし、外出の制限が少なくなるなど、生活は一変した。その後、母親が亡くなる不幸に見舞われたが、それまで以上の新光園や養護学校の皆さんの暖かい思いに包まれ、中学生になった現在もその不幸を乗り越えて自立を目指した生活を送っている。(松尾隆先生執刀)


 このように見てくると、現在到達し得た医療の水準は、単に訓練やマッサージで一時的に緊張をほぐすのとは明らかに異なる結果を生み出していることが見えてきます。重ねて言えば、脳性麻痺の病理から考えても、訓練を強要したり特殊な装具をつけることによって過緊張や痙縮が取れることはありません。ところが、一部の病院や多くの養護学校・肢体不自由児施設などではいまだに訓練中心の取り組みに終始し、医学の成果を積極的に取り入れようとはしていません。現在の医学の常識からかけ離れ、『脳性麻痺は早期発見・早期訓練で直す』という従前の考え方がいかに危険であり、子どもたちや親を苦しめる結果を生み出すものであるかを捉え直さなければならないと思います。ましてや、かつて私たちがしてきたような、医師の診断や指導のもとにない訓練など決してすべきではありません。はっきりしているのは訓練で痙性はとれないことです。痙縮や拘縮・変形は、まず専門医と相談のうえ治療の手立てをとり、それにより獲得した各部の機能をより高次の物とし、また二次的な障害の進行をできるだけ押さえるために各種の訓練が必要とされます。その際にも、常に医師との連携のもとに訓練が行われる事が必要なのではないでしょうか。
 脳性麻痺は手術をしてもよくならないという声をよくききます。全国的に見ればかなり医療水準の差があるのは確かです。その中で、世界的水準に達している脳外科的手術、整形外科的手術が日本にあるのも事実です。患者サイドが学習していく以外に優れた医療にたどりつくみちはありえません。医療サイドも手術の結果についての医学論文をもっともっと発表してほしいと思います。
 そうした中での保育の役割とは何でしょうか。どんなにハンディーを持っていても人間としての価値には関係なく、人間として尊重される場、その子ができないところを手助けしながら、自らやりたい・動きたいという意欲を育てる場、母親が一人で子育てをするのではなく、子どもも親も職員も集団の中でお互いが育ち合う場であることなど、いろいろありますが、障害を持った子に限らず、その子が他の子どもたちとの交わりの中で、自分を認め、自分に自信を持ち、自分らしさを表現して生きていってくれる場になればと願っています。様々な障害を保育の場で治すことはできません。また、人間的な成長を医療の場に求めることにも無理があります。ですが、障害を持った子にとってはその両面が必要になります。
 医療がになう部分と保育・教育がになう部分を明らかにしながらも、お互いが連携を取り合い、情報を交換しながら、すべての子が幸せになれるよう努力をしていきたいと思います。

連絡先 とねっこ保育園 茨城県取手市下高井一〇八七‐二四
     TEL 〇二九七―七八―二二〇三
               FAX 〇二九七―七八―九二一一
            

参考資料
 堀先生のホームページ http://www.asahi-net.or.jp/~RP5T-HR/
 松尾先生のホームページ http://hb3.seikyou.ne.jp/home/t-matsu2/
 松尾 隆 著『脳性麻痺の整形外科的治療』創風社
 松尾 隆 著『脳性麻痺と機能訓練』南江堂
 週間『医学のあゆみ 機能的脳神経外科 ――最近の進歩――』
    一九九九・六・五号  医歯薬出版

どの子にも適切な時期に適切な医療の手立てを

風の子共同保育園(舞鶴市) 和田きよみ
 
はじめに
 

 私たちの保育園は,設立時から長時間保育,産休明け保育,学童保育,そして障害児保育この4つの柱を軸に保護者と一緒に子供たちの健やかな成長を願って歩んできました。設立14年めをむかえる無認可保育園です。
 これまでに,自閉的傾向,ダウン氏症候群,てんかん,脳性マヒなどさまざまな障害を持った子供の相談をうけてきたわけですが,それらのなかの少なくない子供たちが医療にかけこんでも,「しばらく様子をみましょう」いわゆる要観察児として放置される,あるいは療育センターへ週1回通い,機能訓練をうける指導をされ,通うが子供自身に変化がみられないなどの状況におちいっていました。 ここ京都北部の地にあっては大学病院もなく,小児神経科などの専門外来も月1回,週1回の出張外来での診療でしかありません。窓口は療育センターひとつで,そこでの診断・治療(療育指導)が一番「良きもの」という中で障害を持った子供とその家族がいました。

脳性マヒの子供について
 
 私たち保育者もそういうなかで医療に対する不信をもち,特に脳性マヒの子供には以前地元の養護学校で実習助手をしていた方から指導をうけ,その方のやりかたで訓練を軸とした保育にとりくんでいました。埼玉に移られ理療科院を開設されたその方の所へ脳性マヒの子ども,両親,保育者共に京都から埼玉まで足しげく通い「1歳半で歩けるようになる」「2歳には歩ける」と言われながら,歩行が確立しなかったFちゃん(現在3歳,つかまり立ち)。親も私たちも,「訓練の量が足りないからではないか」「訓練のやり方(質)がまちがっているからではないか」というところへどんどんはまりこんでいきました。レントゲンの状態も把握せず「ねがえりできない子どもでも生活年齢が高くなれば立位をとらせていくことが必要」というその方の独自の考えで立位を日に4回ずつとらせる訓練をした結果,骨頭が一部くだけたような状態になってしまったEちゃん(現在3歳,点頭てんかん,全身麻痺,一部鼻腔栄養)。
 どれだけ訓練しても,その一瞬は緊張がとれ,全身が楽そうになっても時間の経過と共に,また,もどっていく……改善される方向がいっこうにみいだせない,それどころか訓練のために損傷させてしまうと言うような深刻な事態を生み出すまでになってしまいました。
 この事態に私自身自分のあさはかさ……医療と結びつかない訓練を信じてやってきたこと,同時に何よりも脳性マヒは訓練で良くなる,改善していくととらえてしまったこと……を痛切に感じました。
 脳性マヒはどの訓練が良いか悪いか,又,訓練の開始が早かったか遅かったかと言うようなレベルの問題ではなく,そして,歩けなかった子どもが歩けるようになったからそれですむことでもない,一人の人間に関わった重大な疾患として医療の手だてが不可欠だということです。
 
K君(15歳)について 
 
 この夏,私の友人の子どもさんK君が京都北部から上京し,東京女子医大脳神経センター脳神経外科に検査入院,平 孝臣先生,堀 智勝先生等の判断のもと,痛みと痙縮の全身的緩和を目的とした脊髄刺激療法という手術治療をうけて1ヵ月余りで帰宅しました。
 彼は8年前自宅前のエレベーターで荷物はこびの手伝いをしていて,壁面との間に挟まれ頭部,胸部を圧迫,呼吸及び心拍停止(15〜20分)。蘇生はしたが,心拍停止時間が長びき,脳への低酸素状態により,四肢マヒ,てんかんの障害をうけてしまいました。今回の入院までに地元の脳外科,京都市内の小児神経科,機能訓練の病院への入院と治療,その他ありとあらゆる民間療法も試し,両親のできることはどんなことでもしたいという願いの中で生きてきました。地元の府立養護学校に毎日通い,教育,療育をうけてきましたが9歳以降(思春期に移行)急速に,体全体の拘縮が進み,からだの変形(左股関節脱臼,脊椎側弯など)もきつくなってきています。
 常に緊張が高く同じ姿勢でいることからくる身体の痛みや不快があることが分かっていても,訓練と投薬で一時的に楽な状態にするしか方法がないと京都の医療ではいわれてきました。整形外科でも大腿骨頭を切除する方法しかないといわれ,今日に至っていました。
 この間,脳性マヒに関する学習をする機会を得て,投薬と訓練だけではない日進月歩で進んでいる医療の中で機能的脳外科からのアプローチができることを知り,又,整形外科でもただ腱を伸ばすだけのものや過緊張,固縮した筋肉を切るだけでない「選択的緊張筋解離術」という方法がとられていることもわかり,K君の生活を丸ごとかかえている友人にもこれらの事を伝えました。次のものは入院することが決まったあと,K君のお母さんが 堀 智勝先生に宛てた手紙の一部です。
 「親の願いとしましては少しでも異常な緊張などのからだのつらさから解放されることが第一です。この子は随意運動が限られていて,その分本人にストレスとして残ることが多く,夜寝られないことが多い日々です。
 いつもわずかな動きの中で自分の気持ちを表現しようとしていますが,車いすの乗降,姿勢をかえる時などにも,体の痛みがあり,その度に外界から遮断され,楽しく過ごせることが少ない日々です。
 かなり重度の障害なので決して多くの事は望んでおりませんが……どんな運命を背負っていても努力することや希望は持てるはずだと信じています。
 少しでもこの子を楽にしてやりたい。そして正直なところ私も…」
 現在,彼は電極をからだに埋め込んだままの状態で半年間生活をしていくことになっています。どのような改善があるか,どのような効果が出るのか長いスパンで観察していくことになりそうです。
 お母さんとしては,脊髄刺激療法ではない手術を希望していったのですが,K君の状態からこの方法がベストだということで先生の判断にゆだねられました。医学には全く素人の私ですが,あと3年早かったら(思春期に入ってしまうまで)もっと積極的な治療方法があったのではないか,効果が早くあらわれたのではないかという思いもあります。
 いずれにしても「こんな重度なわが子にもできる治療があった」ことを喜び,「多くの脳性マヒの子どもたちが一人でも適切な時期に適切な医療の手だてが受けられることを願う」と話してくれたこのお母さんに私自身励まされ,一人の保育者として脳性マヒという障害を持つ子供達とその家族の人生が真に豊かなものとなるよう適切な時期に適切なその子どもにあった治療(手術)がどの地域でも,受けられるようになることを切に願うものです。
 
京都府 舞鶴市 大内野107 風の子共同保育園
TEL・FAX 0773-76-4972 

私たちの脳性麻痺児療育の20年間の歴史の問題点


 保育研究会事務局 千田顕史(ジャーナリスト)
 
1 20年間の歴史

 私たちは,障害児を0歳から保育することによって,障害を軽減あるいは克服することを保育目標の柱の一つにして活動をした経験を持つ保育関係者の研究会です。この研究会の母体となった前の研究会の歴史を含めて約20年の歴史をもっています。脳性麻痺児もたくさん育ててきました。脳性麻痺はボイタ法・ボバース法が日本に紹介されてから20年をこえます。大津市では全市的にうまれた子ども全員をボイタ法で検診し(3〜4ヵ月検診),異常を発見すればすぐ大津市民病院で0才から訓練をして脳性麻痺を克服しているという,いわゆる大津方式(大津から脳性麻痺をなくす)を全国に広めようとやってきて,私たちもその運動の流れに関わってきました。
 しかし,脳性麻痺が訓練の成果で克服されたのか,障害が軽くなったのか,それを子供の肉体的自然成長と区別して医学的に判定する機会もないまま20年間,訓練中心でやってきました。我々だけでなく日本全体がそうだったと思います。また大津方式に関しても教育心理学者や心理相談員だけが,大津市の脳性麻痺の克服と軽減を主張するだけで,大津市民病院の医師からは医学論文として整形外科あるいは脳外科の学会に脳性麻痺医療の発表はなされませんでした。医学論文が発表されず,教育心理学者の論文だけで私たちは大津方式を信頼して,20年間も訓練中心の取り組みをやってきました。私たちだけでなく全国のかなりの保育園・養護学校が,この20年間そして現在今でも訓練中心の療育をすすめています。
 そして,患者サイドがこういうレベルでは,脳性マヒに関する医療がなかなか進みません。また手術のタイミングを失ってしまった(すでに関節の拘縮がすすんだり,筋肉の硬化が進んでしまった)脳性マヒ児の苦しみ,介護する家族の困難は増大するばかりです。粕屋新光園の松尾園長の著書『脳性マヒの整形外科的治療』の第7章は,現在の日本の脳性マヒ療育がどのように医学とかけ離れているかを明らかにしています。

2 脳性マヒ児の現状

 アメリカのデータでは出生児の500人に1人(0.2%)が脳性マヒ,1000人に1人が自閉症と言われています。日本では脳性マヒは500人から600人に1人といわれ,アメリカとほぼ同じ比率です。このデータから判断すると,出生数 120万人×0.2%=2400人 0〜20歳 医療対象 約5万人(それを支える家族は10万人以上,肢体不自由施設の職員は2万人以上)と推定されます。そして,日本では毎年2000人から3000人の脳性マヒ児が誕生しています。この数字に交通事故や不慮の頭部事故によって後天的にマヒをかかえる人がいますので全体としてもっと実体は多いと思います。 日本の肢体不自由施設,肢体不自由通園施設,重症心身障害児施設,肢体不自由児の養護学校の全国定員は約2万5000人をこえるようです。脳性マヒの場合,脳性マヒ医療の進歩によって10万〜20万人の介護にあたる家族,施設職員の介護の負担が軽減されることも大きな効果です。
 私自身,20歳前後の脳性マヒ児を介護している親が50歳台でなくなった例を2人見ています。脳性マヒ医療の進歩によって本人の可能性が拡大されるだけでなく,家族・肢体不自由施設の職員の精神的・肉体的負担の軽減が期待されます。

3 受けている医療の現状

 生まれて脳性マヒとわかると小児科あるいは肢体不自由の通園施設で訓練をうけます。東京女子医大脳神経センターの脳性マヒの手術が始まるまで脳外科による痙縮の手術をうけた例は全国どこにもありませんでした。肢体不自由施設の整形外科医の「脳性マヒの外科研究会」は15年の歴史を持ち,松尾先生のグループは2000人の手術例を持って,この15年間かなり脳性マヒ手術を前進させてきているようです。この研究会の整形外科医に出会えたのも,我々はやっとここ2年間です。全国の圧倒的な脳性マヒ児は訓練中心の医療で整形外科と脳外科の脳性マヒの専門医療に出会えないままです。かつての私の同僚が編集した『重症心身障害児』(滋賀県のびわ湖学園)の本があります。小児科医が園長で,写真を見るとどの子も手術が必要に見えます。しかし,この本には脳性マヒを専門とする整形外科や脳外科が手術したという報告はありません。これが重症心身障害児施設の医療の現状と思います。もちろん,福岡の粕屋新光園のように,整形外科医の脳性マヒ手術の専門医がいるところでは,このようなことはないのですが,全国の多くの施設ではびわこ学園のように重症心身障害児施設でありながら,脳性マヒ専門の整形外科医や脳外科医の専門医療,あるいは難治性てんかんの手術が可能な専門医療とかけ離れているのではないでしょうか。

4 脳性マヒ医療の前進のために

 アメリカには脳性マヒ学会があり,整形外科医・脳外科医が中心的な役割をになっているときいています。日本では,リハビリ学会の一部に脳性マヒ研究会がつくられたとききます。「脳性マヒの外科研究会」はそれでは欧米の医療技術の進歩からおくれるので,全国の肢体不自由施設の整形外科医がつくったそうです。1日も早く,欧米の水準に追いつくために脳外科と整形外科とリハビリ医が一体となった医療が実現されるための,必要な対策をたててくださるようお願いするものです。
 今,日本の脳性マヒ児の父母や施設の職員は医療をあきらめていて(専門医療があることを知らないため),訓練中心になっています。そしてこの障害の本当の困難が来る(筋肉や骨が成長してしまう)青年期には脳外科手術,整形外科手術の手法が限られてきます。
 幼児期から必要な医療を受けられるようにしていただきたいと切にお願いするものです。数万人の脳性マヒ児だけでなく,家族や施設の職員まで含めると,何十万人の人たちが,専門医療を誰でも受けられるようになれば,もっと人生に希望を持てるようになると思います。そして毎年生まれるであろう何千人かの脳性マヒ児のためにも。
 ボイタ法・大津方式では生まれた赤ちゃんの1%(大津市なら出生数3000人に30人)を脳性マヒの前段階としての中枢性協調障害として,0歳より訓練に励むようにします。そして,24人が早期訓練の成果で脳性マヒを克服し,0.2%にあたる6人が訓練の方法が悪いか,訓練の量が足りないか,または他の障害の重複のためマヒは治らなかったと理由づけをします。そのため,24人の脳性マヒでない赤ちゃんの親は不安な育児を強制され,6人の本当の脳性マヒ児は手術のタイミングを失っていきます。それが,私たちの20年間の歴史でした。全国的に子育て・育児が不安から楽しいものに変わっていくためにも,脳性マヒ医療の前進が期待されます。

保育研究会連絡先 文京区本郷4-17-2 (株)創風社
 TEL 3818-4161 FAX 3818-4173

参考:『母の決断』書評

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